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フレディマーキュリーはインド人?出身地どこで宗教はゾロアスター教?

フレディマーキュリーはインド人?出身地どこで宗教はゾロアスター教?

2018年に公開され大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』ご覧になりましたか?

この映画を見てフレディ・マーキュリーに興味をもった方も多いことでしょう。

亡くなってからなお人気が衰えず、多くの人を魅了し続けています。

そこで今回は「フレディマーキュリーはインド人?出身地どこで宗教はゾロアスター教?」と題して調査していきます。

フレディ・マーキュリーってどこ出身なんだろう?インド人ってホント?

宗教はゾロアスター教なの?

気になりますよね。

どうぞ最後までお楽しみください。

 

Contents

フレディマーキュリーはインド人?出身地どこ?


フレディ・マーキュリーは親日家としても有名でした。

彼はインド人なのでしょうか?出身地は?

生い立ちを追って見ていきましょう。

 

フレディ・マーキュリーの出身地は?

フレディ・マーキュリーは、ペルシャ系のルーツを持つインド出身の両親から生まれたインド人です。

フレディ・マーキュリーは1946年9月5日にアフリカのザンジバル島(現タンザニア)で生まれました

出生時の名前は、ファルーク・バルサラといいます。

彼の両親は、インド出身のパルシーでした。

 

パルシーとは、もともと「ペルシャ人」を意味する言葉です。

インドでも少数派のパルシーは、古代のペルシャ(現イラン)で栄えたゾロアスター教の信徒で、ペルシャのイスラム教化を逃れて移り住んだ人々を意味します。

パルシーには裕福な資産家が多く、フレディ・マーキュリーも良家のお坊ちゃんとして育ったようです。

 

両親は敬虔なゾロアスター教徒でした。

両親は当時インドと交流があったザンジバル島に、仕事の関係で移り住みました。

このザンジバル島でフレディ・マーキュリーは生まれました。

 

こちらの写真は、ザンジバル島にあるフレディ・マーキュリーの生家です。

現在は観光地になっています。

フレディ・マーキュリーは、幼いころの大半をインドにある全寮制の英国式寄宿学校で育ちました。

7歳のころからピアノを習い始めます。

このエピソードからも、フレディ・マーキュリーの一家が裕福だったことがわかりますね。

在学中から仲間とバンドを始め、ラジオで聴いた曲をピアノで再現するという才能の片鱗を見せはじめます。

 

イギリスへ

フレディ・マーキュリーは1963年ザンジバル島に戻り家族と暮らし始めます。

ところがその翌年にザンジバル革命が起こり、島内のインド人に多数の死傷者がでました。

当時17歳のフレディ・マーキュリーは安全上の理由からザンジバル島を離れ、一家でイギリスに移り住みます。

 

それまでの何不自由ない暮らしから一転、イギリスで両親は使用人として働きました。

フレディ・マーキュリーは学校で芸術とグラフィックデザインを学びました。

エキゾチックな顔立ちのフレディ・マーキュリー、そして厳格な階級社会のイギリスでマイノリティーとして差別を受けることもあったでしょう。

映画『ボヘミアン・ラプソディー』の中でも空港で働くフレディマーキュリーが、心無い言葉を投げかけられるシーンが描かれていますね。

 

 

こちらは映画『ボヘミアン・ラプソディ』のワンシーンです。

 

クイーン結成

卒業後フレディ・マーキュリーはバンド活動をしながら古着の販売や、先にお伝えしたヒースロー空港でのアルバイトをして過ごしました。

1970年フレディは、ギタリストのブライアン・メイやドラマーのロジャー・テイラーがいるバンド「スマイル」に加わることになります。

バンド名を決める話し合いで、他のメンバーが難色を示したのにも関わらずフレディの推した「クイーン」が新たなバンド名となりました。

クイーンという言葉には、男性のゲイを表す意味もあったので男性バンドとしては敬遠する名前でした。

後にフレディは、以下のように語っています。

 

「間違いなく堂々としているし、響きもいい。それに力強さもあって、どこでも通用するわかりやすいネーミングだ。ゲイを思わせるような名前だとわかってはいたが、それはほんの一面にすぎなかった。」

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC

 

フレディ・マーキュリーは、やはり人とは違ったセンスをもっていたのでしょうね。

同じころに名前をファルーク・バルサラから「フレディ・マーキュリー」に正式に改めました。

「クイーン」はフレディ・マーキュリーが亡くなるまで20年間以上同じメンバーで活動を続け、世界的なロックバンドへと成長します。

 

 

こちらは、映画ではなくて本物の「クイーン」の写真ですね。

こちらのTwitterの人気投票でも1位を獲得しています。

 

 

偉大なボーカリストであるフレディ・マーキュリー は今もなお多くの人々の心を掴み、不滅の輝きを放っています!

 

宗教はゾロアスター教?

フレディ・マーキュリーは、ゾロアスター教を信仰していたのでしょうか?

調査していきます。

 

フレディ・マーキュリー はゾロアスター教?

1991年フレディ・マーキュリーはHIV感染が原因となって、45歳の若さでこの世を去りました。

フレディの葬儀はイギリスで近親者のみ参列し、ゾロアスター教の習わしに沿って行われたと言われています。

 

先にお伝えしたように、フレディ・マーキュリーの両親は敬虔なゾロアスター教の信者でしたが、彼自身はどの程度ゾロアスター教を信仰していたのかはわかっていません。

本人はそのことについて語っていませんでした。

またインドで育ったという過去も「ロックのイメージに合わない」という理由からか?隠したがっていたようです。

クイーンの曲の中で最も有名なのは『ボヘミアン・ラプソディ』ですよね。

映画のタイトルにもなっています。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞は難解である上に、オペラのような掛け合いが出てきたり、イタリア語が出てきたり、イスラム教徒が使うフレーズが登場したかと思えば新約聖書に出てくる悪霊の名前が出てきます。

この曲はフレディ・マーキュリーの深い葛藤と苦悩を表していると言われています。

なぜなら両親の信仰するゾロアスター教は「両親又は父親がゾロアスター教徒の場合のみゾロアスター教徒となれる」という血統制限がある宗教だからです。

ゲイだったフレディ・マーキュリーは、子供をもつことはできないことでした。

一方普通の結婚生活に憧れをもっていたとも言われています。

両親や信仰への罪悪感を感じていたでしょう、しかし自由に生きたいという強い信念ももっていました。

背景を知った上で『ボヘミアン・ラプソディ』を聴くと感慨深いものがありますね。

 

ゾロアスター教の葬儀といえば鳥葬を思い出す人も多いでしょう。

鳥葬を認めていない国も多いため、ゾロアスター教の人は遺体を火葬してから、遺灰を自然に撒く方法をとっているようです。

実際フレディ・マーキュリーの遺体も火葬にされ、遺灰は生前の約束によってある場所に撒かれたと言われていますが、詳細は明かされていません。

 

まとめ

今回は、亡くなってなお不動の人気を誇るフレディマーキュリーについて「フレディマーキュリーはインド人?出身地どこで宗教はゾロアスター教?」と題して調査してきました。

フレディ・マーキュリーは、ペルシャ系のルーツをもつインド出身両親をもつインド人です。

出身地は、アフリカのザンジバル島でしたね。

幼少期の大半をインドで過ごします。

17歳のときザンジバル島での革命をきっかけに、一家でイギリスに移住しました。

ロックバンドクイーンのボーカリストとして、世界的に活躍しますが若干45歳の若さでこの世を去ります。

葬儀は両親が信仰していた、ゾロアスター教の習わしに沿って行われました。

フレディ・マーキュリー自身が、どの程度ゾロアスター教を信仰していたのかはわかっていません。

彼の遺灰は生前の約束に従って自然に還されましたが、詳細は明らかにされていません。

いかがでしたか?

ロックスターとして世界中の人々を魅了したフレディ・マーキュリー。

しかし本当の彼は苦悩と葛藤、そしてコンプレックスを抱えた複雑な人間だったのかも知れませんね。

背景を知って改めて映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見れば違った楽しみ方ができそうです!